1994年にデビューし、バンド活動とバラエティ番組で人気を博したTOKIO。
しかし、彼らのデビュー前の活動についてはあまり知られていません。
今回は、TOKIOのデビュー前のメンバー構成や下積み時代について詳しくリサーチしてみました。
意外な事実や興味深いエピソードが満載です!
TOKIOのデビュー前のメンバー構成は?

TOKIOのメンバー構成は、デビュー前からいくつかの変遷を経ています。
その過程を時系列で見ていきましょう。
1989年、城島茂さんと山口達也さんが「城島茂バンド(通称:ジョーバンド)」を結成しました。
これがTOKIOの原点となります。
その後、ジャニー喜多川社長の命名で「TOKIO BAND」となり、現在のTOKIOの直接の前身が誕生しました。
1990年には国分太一さんと松岡昌宏さんが加わり、最初は3人で活動を開始。
その後、小島啓さんが加入して4人組となりました。
しかし、一時的に山口さんが外れるという事態も。
ここで城島さんの直談判により山口さんが復帰し、5人体制となりました。
1992年頃からは長瀬智也さんがサポートメンバーとして参加。
5人または6人での変則的な活動が続きました。
そして、デビュー直前に小島啓さんが脱退し、長瀬智也さんが正式メンバーとなって5人組が確定しました。
このように、TOKIOのメンバー構成はデビュー前から流動的で、試行錯誤を重ねながら最終的な形になっていったことがわかります。
TOKIOの下積み時代の活動内容
TOKIOのデビュー前の活動は、一般的なジャニーズグループとは異なる特徴がありました。
彼らの下積み時代の主な活動を見ていきましょう。
バックダンサーやバックバンドとしての活動が大きな特徴です。
少年隊、光GENJI、SMAPといった先輩グループのサポートを務め、コンサートツアーやライブに帯同していました。
この時期、TOKIOメンバーはダンスパフォーマンスも多く行っており、「踊るTOKIO」の姿がよく見られたそうです。
興味深いのは、一時期「ダンスチーム」と「バンドチーム」に分かれて活動していたことです。
城島茂さんはバンド側専任、他のメンバーは両方に所属するという体制を取っていました。
これにより、メンバーたちは多様なスキルを磨くことができたのでしょう。
また、デビュー前にもかかわらず、全国のライブハウスを巡るライブツアーを行っていたことも特筆すべき点です。
23公演に及ぶファーストツアーを敢行するなど、すでに高い人気と実力を誇っていたことがうかがえます。
1994年1月には7大都市でライブハウスツアー、5月には大阪・松竹座で1日10回公演のライブも実施しています。
デビュー前のTOKIOが経験したライブ活動
TOKIOのデビュー前のライブ活動は、彼らの成長と人気の基盤となりました。
具体的なライブ活動を見ていきましょう。
1994年1月5日から1月23日にかけて、全国7大都市のライブハウスで初の単独ファーストライブツアー(全23公演)を開催しました。
これは、デビュー前のグループとしては異例の規模のツアーでした。
各地のライブハウスを巡り、生の演奏とパフォーマンスで観客を魅了したことでしょう。
さらに驚くべきは、1994年5月15日に大阪・松竹座で行った”1日10回公演”というライブです。
これは、彼らの体力と人気の高さを示す出来事といえるでしょう。
朝から晩まで休む間もなく公演を行うという、まさに「体力の限界に挑戦」するようなイベントだったのではないでしょうか。
そして、デビュー直前の8月には全国9大都市でコンサートツアー(全24公演)も行っています。
これらの経験が、彼らの音楽性とパフォーマンス力を磨き上げ、デビュー後の活躍につながったと考えられます。
これらのライブ活動に加え、テレビやメディアへの露出も増えていきました。
1993年10月からNHK-BS2『アイドルオンステージ』にレギュラー出演し、テレビでのバンド演奏やパフォーマンスも披露。
雑誌やラジオ、CMなどにも登場し、知名度を着実に高めていきました。
TOKIOメンバーのデビュー前エピソード
TOKIOの各メンバーには、デビュー前のユニークなエピソードがあります。
いくつか紹介しましょう。
国分太一さんは中学時代、姉の応募でジャニーズ入りし、地元・東久留米市では”地元の星”として知られていたそうです。
デビュー前は不良仲間と地元の公園で過ごすこともあったというエピソードも報じられています。
この「地元愛」は、後の国分の人柄にも表れているかもしれません。
城島茂さんは、バンド結成当初からリーダーとしての素質を発揮していました。
山口達也さんが一時的にグループを離れた際、城島が直接交渉して山口さんの復帰を実現させたエピソードは有名です。
この行動力と統率力が、後のTOKIOの結束力につながったと言えるでしょう。
長瀬智也さんは、当初サポートメンバーとしてグループに参加していました。
その後、正式メンバーとなり、グループの顔として活躍することになります。
この経緯は、長瀬さんの努力と才能が認められた結果と言えるでしょう。
松岡昌宏さんは、デビュー前からその個性的なキャラクターで注目を集めていたそうです。
バラエティ番組での活躍の素地は、この時期から培われていたのかもしれません。
これらのエピソードは、TOKIOの各メンバーが持つ個性と魅力を垣間見せてくれます。
デビュー前から、彼らの才能と個性が光っていたことがわかります。
まとめ
TOKIOのデビュー前の活動は、一般的なジャニーズグループとは一線を画すものでした。
バックダンサーやバックバンドとしての経験、全国を巡るライブハウスツアー、そして頻繁なメンバー変更など、彼らの下積み時代は波乱に満ちたものだったと言えるでしょう。
これらの経験が、TOKIOの音楽性とパフォーマンス力を磨き上げ、後のバンド活動とバラエティでの活躍につながったと考えられます。
各メンバーの個性的なエピソードも、グループの魅力を形作る要素となりました。
デビュー前の苦労と努力があったからこそ、TOKIOは唯一無二のバンド型アイドルグループとして成功を収めることができたのでしょう。
彼らの歴史を知ることで、TOKIOの音楽とパフォーマンスがより一層輝いて見えるのではないでしょうか。


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